CHAPTER 02
第二章 万来樹――六辻街道
出会ったことに、意味は必要なのか。
あらすじ
一本道のはずなのに、なぜか迷う者がいる。会うはずのなかった人間が出会い、別の誰かとはすれ違う。奇妙な報告が続く六辻街道を訪れたシキは、人々の「出会い」を調べ始める。偶然と呼ぶには出来すぎている。けれど、そこに意味があるとも限らない。
SCENE 01/14 迷えない道
その道で迷うのは、難しかった。
少なくとも、地図を見る限りでは。
白伏村から戻って十二日。
シキはまた山道を歩いていた。
前回は地図が古かった。
橋が落ちていた。
だから道を間違えた。
今回は違う。
地図は最新版。
街道は一本。
途中に細い獣道はいくつかあるが、人間が荷車を引いて入り込めるような道ではない。
それなのに、この二十日ほどで四組の旅人が道を失っていた。
商人が三日。
旅人が二日。
家畜商が一晩。
薬売りが四日。
全員、生きて帰っている。
荷物もほとんど失っていない。
怪我らしい怪我もない。
そして、四組とも同じことを言った。
――道を間違えた。
「どうやって?」
シキは依頼書を見ながら呟いた。
道は一本だった。
《六辻街道周辺における経路異常》
《複数の通行者より、地図上に存在しない分岐・集落・林道を確認したとの報告あり》
《一部証言に共通して、大型の猫状構造物を目撃》
《原天伝承存在との関連を疑い、現地観測員を派遣する》
最後に、ゲンの字で一行だけ追加されている。
《今度は地図をなくすな》
「なくしてねえよ」
誰もいない山道で言い返した。
前回もなくしてはいない。
古かっただけだ。
たぶん。
シキは鞄の横を叩く。
地図。
身分証。
報告用紙。
測量具。
干し肉。
水。
包帯。
木彫りの魚。
「……魚いらないな」
白伏村で買ったものだった。
一度取り出しかける。
やめた。
捨てる理由もない。
鞄を閉じる。
歩く。
街道は緩やかに山を下っていた。
右に杉林。
左に低い崖。
その向こうに川の音。
空は晴れている。
道幅は荷車二台がぎりぎりすれ違えるほど。
迷う要素がない。
一刻ほど歩いた。
何も起きない。
さらに歩いた。
鳥。
風。
虫。
荷車の轍。
人間の足跡。
全部普通だった。
「……帰っていい?」
もちろん、誰も答えない。
その時だった。
前から男が歩いてきた。
大きな荷物を背負っている。
四十前後。
旅装。
シキは道の端へ寄った。
男も寄る。
すれ違う。
「どうも」
「どうも」
終わり。
シキは歩き続けた。
十歩。
二十歩。
三十歩。
止まる。
振り返った。
男も止まっていた。
互いに見る。
「……あれ?」
男が言った。
シキも同じことを思っていた。
「今、どっちから来た?」
「北です」
「俺も北から来た」
「はい?」
二人とも黙る。
街道は一本。
シキは自分が歩いてきた方向を見る。
男も同じ方向を見る。
「ミツノから来た?」
「そうです」
「俺も」
「……そうですか」
「何時に出た?」
「朝です」
「俺も」
沈黙。
シキは地図を開いた。
六辻街道。
一本道。
北にミツノ。
南にカヤ。
現在地はその中間。
少なくとも、そのはずだった。
「どこ行くの?」
「ミツノです」
「今ミツノから来たって言ったじゃん」
「違います」
男が眉を寄せる。
「私はカヤから来ました」
シキは顔を上げた。
「今、北から来たって」
「言ってません」
「言ったよ」
「南です」
「いや」
男が少し苛立つ。
「私は朝、カヤを出たんです。ミツノへ荷を運ぶ途中です」
シキは男を見る。
嘘をついているようには見えない。
地面を見る。
自分の足跡。
男の足跡。
二人分の足跡が、同じ方向から続いていた。
「……ちょっと待って」
しゃがむ。
土を触る。
新しい。
男のもの。
自分のもの。
どちらも北側から来ている。
なのに男は南から来たと言う。
シキは報告用紙を取り出した。
「名前」
「ガロ」
「仕事」
「商人です」
「何売ってる?」
「布と雑貨」
「今日ここで誰かに会った?」
ガロが考える。
「いいえ」
「本当に?」
「あなたが最初です」
シキは書く。
《ガロ。商人》
《カヤからミツノへ移動中と主張》
《観測員と同一方向から接近》
《本人の方向認識と物理的痕跡が一致しない》
「俺、シキ。巡界衆」
「やっぱり」
「分かる?」
「鞄」
「そんな特徴ある?」
「ありますよ」
前にも言われた。
少し腹が立つ。
「で」
ガロが聞いた。
「私はどっちへ行けばいいんです?」
シキは地図を見る。
北。
指差す。
「こっち」
ガロも同じ方向を見る。
「私が来た方向ですが」
「俺も」
「大丈夫なんですか」
「分からん」
「巡界衆ですよね?」
「巡界衆は道案内じゃない」
「今一番必要なんですが」
正論だった。
二人で北へ歩くことにした。
十分。
二十分。
三十分。
前方に人影が見えた。
若い男だった。
道端に座り込んでいる。
荷物は少ない。
二十歳そこそこ。
二人に気づくと立ち上がった。
「すみません」
「何?」
「ミツノって、どっちですか」
シキとガロは顔を見合わせた。
ガロが答える。
「私たちも探してます」
「え」
「お前はどこから来た?」
青年は後ろを指した。
「ミツノです」
三人とも黙った。
「……もう一回言って」
「ミツノから来ました」
「どこ行くの?」
「決めてません」
「は?」
「とりあえず街道を歩いてて」
青年は困ったように笑った。
「気づいたら、ミツノに戻ろうと思ってました」
シキは青年の後ろを見る。
自分たちが向かっていた方向だった。
「名前」
「エン」
「目的地」
「ないです」
「仕事」
「今はないです」
「何しに歩いてる?」
「それを探してます」
シキは少し考えた。
「一番面倒なやつだ」
「よく言われます」
三人になった。
歩く。
しばらくして、今度は荷車が止まっていた。
車輪が外れている。
若い男が一人、しゃがんで修理していた。
ガロが足を止める。
「ネル?」
男が顔を上げた。
「……ガロ?」
「なんでお前ここにいる?」
「それ俺の台詞だよ」
ネルは木工職人だった。
正確には、少し前まで木工職人だった。
働いていた工房が潰れ、今は仕事を探しているらしい。
荷車は知人から借りたものだった。
ガロが外れた車輪を見る。
「直せるか?」
「車輪そのものが割れてる」
「作れる?」
「材料あれば」
ガロは荷台を開けた。
木材。
金具。
工具。
ネルが見る。
「なんでこんなの積んでんの」
「売り物」
「これなら直せる」
二人が作業を始めた。
シキは横で見ていた。
エンも見ている。
「知り合い?」
「知らん」
「いや、あの二人」
「知らんって」
一刻後。
荷車は動いた。
ガロは車輪を蹴って確認する。
「お前、仕事ないの?」
「今は」
「荷車の修理できる?」
「見れば分かるだろ」
「うち来る?」
ネルが止まる。
「は?」
「荷車壊れるんだよ。最近雇ってた奴辞めたし」
「どこ?」
「ミツノ」
ネルは笑った。
「俺もミツノ行こうとしてた」
ガロも笑う。
「じゃあちょうどいい」
シキは二人を見る。
紙を見る。
《ガロ、ネルと遭遇》
その下へ、
《雇用成立》
と書きかける。
止める。
まだ成立していない。
消して、
《雇用に関する会話あり》
に変えた。
「真面目ですね」
エンが横から覗いていた。
「見るな」
「すみません」
その時。
森の奥で、何かが鳴った。
鈴ではない。
木でもない。
石同士が擦れるような、低い音。
シキが顔を上げる。
ガロたちも止まった。
杉林の奥。
何かがいる。
大きい。
最初は岩だと思った。
次に、木だと思った。
その次に、猫だと思った。
どれも違った。
ひび割れた石か、古い陶器のような表面。
巨大な猫に似た胴。
両眼から盆栽のような樹木が伸び、その枝の間には眼球にも実にも見えるものがいくつも覗いている。
尾は途中から枝分かれし、樹木の根のように地面へ潜っていた。
背中には大きな空洞。
その奥に、小さな祠。
さらに、その手前には鳥居に似た構造。
そして。
片方の前脚だけが、高く持ち上がっていた。
招き猫。
シキの頭に最初に浮かんだのは、それだった。
「……招いてる?」
巨大なものが、ゆっくりこちらを見る。
枝の目が、いくつか開く。
「招いておらん」
低い声だった。
シキは持ち上げられた前脚を見る。
「じゃあそれ何」
「手じゃ」
「手?」
「そうじゃ」
「何してんの」
「おる」
「……何してるか聞いてんだけど」
「おる」
シキは黙った。
少し考える。
「名前は?」
返事はない。
「万来樹?」
枝が僅かに揺れた。
否定しない。
巡界衆の古い資料にあった。
第二ノ御霊。
万来樹。
人間の道を招くもの。
縁を結ぶもの。
必要な者同士を出会わせるもの。
地方によって伝承は違う。
共通するのは、持ち上げた手。
シキはそれを見る。
「やっぱ招いてるじゃん」
「招いておらん」
「伝承だとそうなってる」
「知らん」
「お前の話だよ」
万来樹は答えなかった。
枝の目が一つ。
二つ。
シキを見る。
そして、しばらく止まった。
シキも見る。
「……何」
万来樹は答えない。
「俺になんかついてる?」
沈黙。
シキは自分の服を見る。
泥。
埃。
鞄。
「魚?」
「違う」
「じゃあ何」
さらに長い沈黙。
やがて万来樹は言った。
「わしとは違う」
「何が?」
「知らん」
「じゃあ何で分かるんだよ」
枝の目がゆっくり閉じる。
「違うものは、違う」
シキはしばらく万来樹を見た。
それ以上聞いても、まともな答えは返ってこない気がした。
なぜか、そういうところだけ少し不幻老に似ていた。
「……原天ってみんなこんななの?」
返事はなかった。
シキは報告用紙を開いた。
《第二ノ御霊・万来樹を確認》
その下。
少し考えてから、
《招いているとの本人申告――なし》
と書いた。
「本人申告って書き方でいいのかな」
万来樹は答えなかった。
SCENE 02/14 会いたい人
その日の夕方。
シキはようやくミツノへ着いた。
正確には、
着いたと思った。
街道の先に家が増え、石造りの水場があり、宿屋の看板に《ミツノ》と書いてあったから、たぶん間違いない。
「着いた……」
ガロが荷車の横で座り込む。
ネルも疲れていた。
エンだけは妙に元気だった。
「結局、どこ通ってきたんでしょうね」
「聞くな」
シキは答えた。
「調べに来た俺が一番知りたい」
宿を取る。
荷物を置く。
飯を食う。
そのつもりだった。
宿屋の入口で、
女に腕を掴まれた。
「巡界衆の方ですか?」
「そうだけど」
「お願いします」
「何を」
「娘を探してください」
シキは空腹を一度忘れた。
女の名前はマナ。
娘はヒナ。
九歳。
朝からいない。
「家出?」
「違います」
「喧嘩した?」
「してません」
「怒った?」
「昨日、少し」
「じゃあ家出じゃん」
「違います!」
怒鳴られた。
シキは口を閉じた。
宿屋の主人が横から言う。
「ヒナは身体が弱いんです」
マナが続ける。
「長く歩ける子じゃありません。熱もあったんです。それなのに……」
「最後に見たのは?」
「朝です」
「何か持っていった?」
「水筒と、上着と……」
女は言葉を止める。
「何?」
「お守り」
「どこの?」
「万来樹様の」
シキは顔を上げた。
「なんで?」
マナは答えなかった。
代わりに宿屋の主人が気まずそうに目を逸らした。
シキは二人を見る。
「何」
マナが唇を噛む。
「昨日、私が……」
少し間。
「夫と話していたんです」
ヒナの病気について。
何度も医者へ連れていった。
薬も飲んだ。
検査もした。
だが原因がはっきりしない。
良くなる時期もある。
悪くなる時期もある。
最近は、少し歩くだけで息が切れるようになった。
昨夜。
ヒナが寝たと思ってから、夫婦で話した。
このまま原因が分からなかったら。
もっと悪くなったら。
その言葉を、
ヒナは聞いていた。
「それで万来樹?」
「昔から、この辺では言うんです」
宿屋の主人が言う。
「万来樹様は、会うべき人に会わせるって」
シキは森での会話を思い出した。
――招いておらん。
「誰に会うつもりなんだ」
マナは首を振った。
「分かりません」
「友達とか?」
「違うと思います」
その時。
宿の奥から、小さな声がした。
「治せる人じゃない?」
振り向く。
十歳くらいの男の子。
宿屋の主人が、
「こら」
と叱る。
少年は引っ込まない。
「ヒナ、昨日言ってた」
「何て?」
シキが聞く。
「万来樹様にお願いしたら、自分を治せる人に会えるかもしれないって」
シキは黙った。
「名前は?」
「知らないって」
「どこにいる?」
「知らないって」
「どんな人?」
「知らない」
シキは頭を掻いた。
「それ、どうやって会うんだよ」
少年が言った。
「だから神様に頼むんじゃない?」
もっともだった。
ヒナの足跡は街道の途中まで残っていた。
小さい。
歩幅も狭い。
途中で一度座った跡がある。
そこからまた歩いている。
そして。
消えた。
「……またか」
シキはしゃがむ。
道の中央。
左右は林。
足跡だけが途切れている。
飛んだわけではない。
誰かに抱き上げられた痕跡もない。
獣の足跡もない。
シキは林へ入る。
枝を避ける。
草を踏む。
十数歩。
道があった。
「は?」
さっきまでなかった。
細い道ではない。
人が普通に歩ける。
土も踏み固められている。
古い轍すらある。
シキは後ろを見る。
六辻街道。
前を見る。
知らない道。
地図を開く。
存在しない。
「……こういうことか」
報告用紙を取り出す。
書こうとする。
やめる。
今は子供が先だった。
道へ入る。
しばらく進む。
「ヒナ!」
返事なし。
「ヒナー!」
鳥が飛ぶ。
さらに歩く。
途中で小さな水筒を見つけた。
拾う。
まだ水が入っている。
「最悪」
走る。
道が二つに分かれる。
地図にはどちらもない。
右。
左。
「……どっちだよ」
考える。
分からない。
右へ行く。
百歩ほど進む。
行き止まり。
戻る。
分岐がない。
「は?」
来た道を戻った。
はずだった。
そこに分岐はなく、
一本道が続いている。
「おい」
誰に言っているのか自分でも分からない。
「ふざけんなよ」
返事はない。
万来樹の姿もない。
歩く。
走る。
また道。
また分岐。
また知らない景色。
その頃には、
シキ自身がどこにいるのか分からなくなっていた。
SCENE 03/14 分からないから
ヒナは知らない男と歩いていた。
「おじさん、医者?」
「違う」
「嘘」
「なんで」
「薬の匂いする」
男は自分の服を嗅いだ。
「するか?」
「する」
「鼻いいな」
「おじさんが臭いだけかも」
「どっちだ」
ヒナは笑った。
笑った後、咳き込んだ。
一度。
二度。
三度。
男の顔が変わった。
「止まれ」
「大丈夫」
「止まれ」
「歩ける」
「いいから」
道端の石へ座らせる。
男はヒナの額に触れた。
「熱あるな」
「知ってる」
「いつから」
「昨日」
「咳は?」
「前から」
「どれくらい」
「知らない」
「親は?」
「いる」
「どこ」
「ミツノ」
男は目を閉じた。
「お前、何してんだ」
「歩いてる」
「見れば分かる」
「人探してる」
「誰」
「私を治せる人」
男はしばらく黙った。
「名前は」
「知らない」
「住んでる場所」
「知らない」
「顔」
「知らない」
「それでどうやって探す」
ヒナは当然のように答えた。
「万来樹様が会わせてくれる」
男はため息をついた。
「神頼みか」
「だって医者に行っても分かんなかった」
「何人」
「いっぱい」
「いっぱいじゃ分からん」
「五人くらい」
「検査は」
「した」
「何を」
「いっぱい」
「……お前と話してると何も分からんな」
「おじさんもね」
男は笑わなかった。
ヒナの手首を取る。
脈。
呼吸。
目。
爪。
首。
「何」
「診てる」
「医者じゃん」
「医者だよ」
「嘘ついた」
「知らない子供にいきなり医者か聞かれたからな」
「センっていうの?」
「なんで知ってる」
「鞄」
名札が下がっていた。
センは名札を裏返した。
「先に言え」
ヒナが笑う。
また咳。
今度は長かった。
センは笑わない。
「胸痛いか」
「たまに」
「走ると?」
「痛い」
「階段」
「嫌い」
「好き嫌いじゃない」
「嫌い」
「倒れたことは」
ヒナの顔が少し変わった。
「三回」
「意識は?」
「分かんない」
「青くなったって言われた?」
「一回」
センは黙る。
ヒナが顔を覗く。
「何?」
「別に」
「分かった?」
「分からん」
ヒナの口が尖る。
「やっぱり」
「ただ」
センは鞄から紙を出した。
何かを書く。
「調べた方がいいものはある」
ヒナが顔を上げる。
「病気?」
「かもしれん」
「治る?」
センはすぐに答えなかった。
「検査しないと分からん」
「死ぬ?」
「それも今は分からん」
ヒナは下を向いた。
センは紙を書き続ける。
「怖い?」
「別に」
「そうか」
「……ちょっと」
「そうか」
「お母さんの方が怖がってる」
「親だからな」
「おじさん、治せる?」
センは筆を止めた。
「俺が治せるかは分からん」
「じゃあ意味ないじゃん」
「そうかもな」
「何それ」
「でも」
紙を折る。
ヒナへ渡す。
「まだ諦める段階じゃない」
ヒナは紙を見る。
文字が多い。
読めない字もある。
「これ何」
「紹介状」
「どこ?」
「ミツノから北へ二日の医療院」
「遠い」
「検査できる」
「注射する?」
「たぶんな」
「行かない」
「じゃあ諦めろ」
「ひど」
「嫌なら元気になってから文句言え」
「おじさん嫌い」
「よかった」
「なんで」
「患者に好かれるために歩いてない」
「何しに歩いてるの」
センは道を見る。
「医者だから」
「答えになってない」
「お前もな」
二人は少しだけ笑った。
ヒナは紹介状を握った。
自分を治せる人に会えたのか。
まだ分からない。
セン自身にも分からない。
ただ、
昨日までなかった次の行き先だけは、
紙の上に書かれていた。
SCENE 04/14 招いていない
シキがヒナを見つけたのは、
日が傾き始めた頃だった。
「ヒナ!」
少女が振り向く。
「誰?」
「お前探してた人!」
「知らない」
「そういう意味じゃない!」
走る。
途中で躓く。
転びかける。
センが冷めた目で見る。
「巡界衆か」
「そう。あんたは?」
「医者」
「誘拐?」
「なんで医者って聞いた直後に誘拐になる」
「知らない男と九歳の子が山にいる」
「お前もだろ」
シキは止まった。
「確かに」
ヒナが笑う。
センはヒナから事情を聞き、
一緒にミツノへ戻ろうとしていた。
問題は、
戻る道が分からないことだった。
「医者なのに?」
「医者は道案内じゃない」
「さっき俺も言った」
「じゃあ分かるだろ」
「分かる」
三人で迷った。
日が沈みかける。
ヒナを背負う。
最初はシキ。
十分で疲れる。
センと交代。
「体力ないな」
「調査員だから」
「山歩くだろ」
「歩くのと子供背負うの違う」
「弱い」
背中のヒナまで言った。
「お前置いてくぞ」
「病人置いてくの?」
「置いてかない」
「弱い」
「元気じゃん」
さらに歩く。
道が変わる。
分岐。
消える。
現れる。
そして、
三人は森の奥で再び万来樹を見つけた。
シキは真っ先に近づいた。
「お前」
万来樹は動かない。
「この子とこいつ会わせた?」
「知らん」
「この子、医者探してたんだよ」
「そうか」
「で、医者に会った」
「そうか」
「お前がやった?」
「知らん」
「絶対お前だろ」
「知らん」
シキは頭を抱えた。
ヒナがセンの背中から降りる。
万来樹を見る。
目を輝かせる。
「万来樹様?」
「そう呼ぶ者もおる」
「私、お願いした」
「そうか」
「聞いてくれた?」
「知らん」
ヒナが振り返る。
「この神様、何も知らない」
「俺も今それで困ってる」
ヒナは万来樹へ近づく。
「この人に会わせてくれた?」
「知らん」
「でも会ったよ」
「そうじゃな」
「じゃあありがとう」
万来樹は答えなかった。
ヒナは気にしていない。
センは少し離れたところから観察していた。
「これが原天か」
「たぶん」
「たぶん?」
「本人があんまり協力的じゃない」
「神に聞き取り調査するのか」
「するよ」
シキは万来樹を見る。
「なあ」
「何じゃ」
「良い出会いだけ起こしてる?」
「良いとは」
「会ってよかったってこと」
「知らん」
「悪い出会いも?」
「知らん」
「人を選んでる?」
「選ぶとは」
「こいつとこいつを会わせよう、とか」
「しておらん」
シキは止まった。
「じゃあ何してる?」
「おる」
「それは聞いた」
万来樹の尾が動く。
地面の根が僅かに軋む。
遠くで道が鳴った。
森の隙間。
さっきまでなかったはずの道を、
一台の荷車が横切っていった。
万来樹は見もしない。
シキはその道を見る。
「道を作ってる?」
「作っておらん」
「じゃああれ何」
「道じゃ」
「さっきなかった」
「ある」
「どこに」
「そこに」
「今はな!」
会話にならない。
それでも一つだけ、
シキには分かり始めていた。
万来樹が何かを選んでいるようには見えない。
ヒナをセンへ導いたわけでもない。
ガロをネルへ導いたわけでもない。
ただ、
離れていたものが、
近くなる。
交わらなかったものが、
交わる。
元から存在していた道が、
別の道へ触れる。
元から存在していた人間が、
別の人間と出会う。
それだけ。
「……招いてないのか」
シキが言った。
万来樹は持ち上げた手をそのままにしている。
「招いておらん」
「じゃあなんでその格好なんだよ」
「知らん」
「そこは知っとけよ」
ヒナが笑った。
その笑い声の向こう。
別の道から、
二人の男が現れた。
片方がもう片方の肩を叩く。
「ハク?」
呼ばれた男が止まる。
振り向く。
顔色が変わる。
「……ダン?」
数秒後。
二人は抱き合っていた。
SCENE 05/14 良かった出会い
その夜。
ミツノの酒場では、
ハクとダンが笑っていた。
六年ぶりだった。
昔話。
仕事。
女。
喧嘩。
旅。
失敗。
死んだ知人。
生きている知人。
話は尽きなかった。
「お前、全然変わんねえな」
「お前は老けた」
「うるせえ」
杯がぶつかる。
酒が揺れる。
ハクはそれを見た。
少しだけ。
本当に少しだけ。
そして飲んだ。
一杯。
二杯。
三杯。
店の主人だけが、
その様子を見ていた。
ハクが酒をやめてから、
三年経っていた。
翌朝。
シキは宿の食堂でヒナの母親に頭を下げられていた。
「本当にありがとうございました」
「見つけたの俺じゃないけど」
「でも連れて帰ってくださって」
「半分セン」
「半分?」
「途中から俺が背負った」
「最初だけだろ」
向かいでセンが飯を食っている。
「うるさいな」
ヒナは紹介状を母親へ渡した。
マナは何度も読む。
目に涙が溜まる。
「これなら……」
センが止める。
「まだ何も決まってません」
マナが顔を上げる。
「でも」
「可能性があるだけです」
「はい」
「検査して、違う可能性もある」
「はい」
「治療できない可能性も」
「分かっています」
それでも、
昨日より顔が違った。
センはそれ以上言わなかった。
ヒナがパンを齧る。
「注射しない方法ない?」
「ない」
「まだ分かんないじゃん」
「じゃあ三本にする」
「増えた!」
シキは笑った。
ヒナが睨む。
「シキもやればいい」
「なんで俺」
「弱いから」
「関係ないだろ」
普通の朝だった。
少なくとも、
その時までは。
酒場の戸が開く。
男が一人、転がるように出てきた。
ハクだった。
顔色が悪い。
その後ろからダン。
「待てって!」
「触んな!」
ハクが腕を振り払う。
「お前のせいだ」
「分かってる」
「分かってねえよ!」
周囲の人間が見る。
ダンが何も言えなくなる。
ハクはそのまま歩いていった。
シキは食堂から二人を見ていた。
昨日、
再会した時には、
二人とも笑っていた。
万来樹の前で。
抱き合って。
嬉しそうに。
「……良かった出会い?」
ヒナが聞く。
シキは答えなかった。
昼。
宿屋の裏で、
一人の女が洗濯物を干していた。
サエ。
三十四歳。
宿を切り盛りしている。
シキが万来樹について聞き込みをしていると、
彼女は手を止めた。
「会わせてくれるんですよね」
「伝承では」
「実際は?」
「分からん」
「巡界衆なのに?」
「昨日会ったばっかりだし」
サエは少し笑った。
「私、十年お願いしてるんです」
「何を」
「会いたい人がいます」
幼馴染。
名前はリツ。
子供の頃からずっと一緒だった。
二人で町を出る約束をした。
十八の頃。
荷物までまとめた。
ところが出発する朝、
サエは怖くなった。
町を出たことがなかった。
家族を置いていくのも怖かった。
仕事もない。
金も少ない。
だから、
行けないと言った。
リツは怒った。
喧嘩した。
一人で町を出た。
それから十年。
手紙を出した。
返事はない。
人づてに探した。
見つからない。
六辻街道を何度も歩いた。
万来樹にも何度も祈った。
「一度だけでいいんです」
サエが言う。
「会って、謝りたい」
「それだけ?」
「……たぶん」
「戻ってきてほしい?」
サエは答えなかった。
シキはそれ以上聞かなかった。
サエは洗濯物を干す。
「昨日の女の子」
「ヒナ?」
「お医者様に会えたんでしょう」
「そうだな」
「荷車の人も」
「ガロ?」
「ネルを雇うそうです」
「もう決まったんだ」
「朝、二人で話してました」
サエは少し笑う。
「良かったですね」
「うん」
「……良かった」
風が吹く。
白い布が揺れる。
サエはその向こうで言った。
「誰も選んでいないなら」
シキを見る。
「どうしてあの子には起きて、私には起きないんですか」
シキは答えられなかった。
万来樹なら、
たぶん言う。
知らん。
でも、
それを今ここで言う気にはなれなかった。
SCENE 06/14 偏縁
人間は、
起きたことに名前をつける。
病気。
災害。
祝福。
呪い。
偶然。
運命。
そして、
苦しみにも。
巡界衆の資料庫には、
《八患》と呼ばれる分類がある。
世界に最初から八種類の苦しみが存在する、
という意味ではない。
人間が長い時間をかけて、
自分たちの苦しみを整理するために作った名前だ。
第二患。
《偏縁》。
必要な者と会えない。
望む関係が結ばれない。
誰かには起こることが、
自分には起こらない。
人と人との交わりが、
あまりにも偏っていると感じる苦しみ。
シキはその資料を、
ミツノの宿で読んでいた。
「偏縁……」
声に出す。
あまり好きな言葉ではなかった。
難しい。
何より、
サエが十年間会えなかったことと、
エンが何となく仕事を探していることと、
ヒナが医者に会えたことを、
一つの言葉で括るのが妙だった。
戸を叩く音。
「はい」
エンだった。
「何」
「暇なので」
「帰れ」
「どこに?」
「……それ聞くのずるくない?」
エンが勝手に入る。
椅子に座る。
机の資料を見る。
「偏縁?」
「知ってる?」
「言葉だけ」
「俺も今読んでる」
「巡界衆なのに?」
「みんなそれ言うな」
エンは天井を見る。
「俺も偏縁なんですかね」
「知らん」
「友達少ないし」
「俺も」
「恋人いないし」
「聞いてない」
「仕事もない」
「それは探せ」
「何したいか分かんないんですよね」
「じゃあ何でもやれば」
「シキさん、そういうタイプですよね」
「何が」
「悩んでる人に、とりあえずやればって言う」
シキは資料から顔を上げる。
「だめ?」
「だめじゃないですけど」
エンは笑う。
「できる人の言い方だなって」
シキは少しだけ黙った。
「俺だって分かんないことあるよ」
「例えば?」
頭に、
一瞬だけ、
九本の脚が浮かんだ。
橋。
雨。
崩れる足場。
自分へ伸びてきた、
本来存在しなかった一本。
《現時点で再確認できず》
《要継続観測》
シキはその考えを追わなかった。
「いっぱい」
「雑」
「お前に話す義理ないし」
「確かに」
エンは立ち上がる。
「飯行きません?」
「金ないの?」
「あります」
「じゃあ行く」
資料を閉じる。
その夜。
町の中央広場に、
白い光が降りた。
SCENE 07/14 美しい救い
最初に気づいたのは、
子供だった。
「きれい」
人々が空を見る。
光は、
降ってきたというより、
そこへ一本ずつ置かれていくようだった。
細い金の線。
一本。
二本。
十本。
百本。
それらが空中で交差し、
巨大な輪を作る。
糸車。
あるいは、
人間には理解できない織機。
その中心から、
白い人影が降りる。
万来樹とは違った。
ひび割れていない。
歪んでいない。
汚れていない。
白磁のような肌。
淡い金。
透き通った布。
身体の周囲には、
糸のような光。
その糸の結び目に、
装飾のような無数の眼。
どれも、
人間が美しいと感じる位置へ、
美しいと感じる形で配置されていた。
誰かが跪いた。
次に、
もう一人。
その次。
シキだけが立っていた。
エンが横で小声になる。
「跪かなくていいんですか」
「知らん」
「神様ですよね」
「たぶん」
「さっきからたぶん多くないですか」
白い存在が目を開く。
声は、
大きくない。
それでも広場全体へ届いた。
「あなたが一人である必要はありません。」
誰かが泣いた。
別の誰かが、
「結世様」
と呟く。
シキは名前を知っていた。
第二天律。
結世。
第二患《偏縁》に対する救済として信仰される天律。
人と人。
人と場所。
必要な交差を整えるもの。
万来樹と、
似ている。
はずだった。
しかし、
目の前に立つと、
まるで違う。
結世は人間を見る。
一人ずつ。
丁寧に。
「会いたい人がいるのですか」
老婆が頷く。
「息子です」
「現在地は分かりますか」
「隣の州に」
「連絡手段は」
「手紙なら」
「では、確認しましょう」
次。
若い男。
「仕事を探しています」
「経験を教えてください」
次。
女。
「結婚相手を」
「あなたが望む関係について聞かせてください」
一人ずつ。
願いを聞く。
情報を聞く。
勝手に決めない。
無理なことは無理だと言う。
そして、
現在認識できる範囲の人間、
記録、
関係、
場所、
目的から、
交差を整えていく。
シキはしばらく見ていた。
万来樹を思い出す。
――知らん。
――おる。
――招いておらん。
そして目の前の結世。
丁寧。
親切。
合理的。
人間の願いを聞く。
勝手に選ばない。
失敗の可能性まで説明する。
シキはエンに小声で言った。
「……こっちだけでよくない?」
エンが吹き出した。
結世の装飾眼が、
二人の方を向いた。
「聞こえてる?」
「はい」
「ごめん」
「謝罪は不要です」
「そこは怒っていいよ」
「必要ありません」
シキは少し困った。
万来樹より話は通じる。
通じすぎる。
サエが広場へ来たのは、
人が減り始めた頃だった。
結世を見た瞬間、
立ち止まった。
シキが気づく。
「サエ」
サエは返事をしない。
白い神を見ている。
やがて、
ゆっくり歩き出した。
結世の前に立つ。
「会いたい人がいます」
「お名前を」
「リツ」
「あなたとの関係を教えてください」
サエは話した。
幼馴染。
十年前。
町を出る約束。
自分が破ったこと。
喧嘩。
別れ。
手紙。
返事なし。
結世は途中で遮らない。
すべて聞く。
そして言った。
「再会を望みますか」
「はい」
「関係の修復を望みますか」
サエは少し迷った。
「……分かりません」
「謝罪を受け入れてほしいですか」
「分かりません」
「相手に戻ってきてほしいですか」
長い沈黙。
「それも」
サエは俯いた。
「分かりません」
結世は否定しない。
「では、現在確定している希望は」
サエが顔を上げる。
「会いたいです」
「理由は」
「分かりません」
「それでも?」
「はい」
結世の周囲で、
金の糸が僅かに動く。
「再会によって、あなたの苦痛が増える可能性があります」
サエは黙って聞く。
「相手があなたとの再会を望んでいない可能性があります」
「はい」
「謝罪が受け入れられない可能性があります」
「はい」
「過去の関係が修復されない可能性があります」
「はい」
「それでも、再会を望みますか」
サエは、
今度は迷わなかった。
「会いたいです。」
結世は静かに頷いた。
「承知しました。」
金の糸が、
一本だけ、
遠くへ伸びていった。
SCENE 08/14 選ばれない
翌朝。
エンは結世の前にいた。
シキは少し離れて見ている。
「俺にもお願いします」
「何を望みますか」
「人生を変えてくれる人に会いたいです」
シキは嫌な予感がした。
結世は変わらない。
「どのような変化を望みますか」
「分かりません」
「仕事ですか」
「かもしれません」
「友人ですか」
「それも」
「伴侶ですか」
「いたら嬉しいです」
「師ですか」
「それもいいですね」
「現在、最も必要だと感じるものは」
エンは笑った。
「それが分からないんです」
沈黙。
金の糸は動かなかった。
結世は言う。
「現在、あなたに優先して提示すべき交差を確認できません。」
エンの笑顔が、
ほんの少しだけ固まった。
「……そうですか」
「あなたに価値がないという意味ではありません」
「分かってます」
「現在のあなたが望む変化を特定できないため、どの交差を優先すべきか判断する根拠が不足しています」
「はい」
「希望が明確になった時、再び求めてください」
「はい」
エンは頭を下げる。
歩いてくる。
シキは何も言わなかった。
二人でしばらく歩く。
エンが先に口を開いた。
「正しいですよね」
「何が」
「結世様」
「たぶん」
「俺もそう思います」
「うん」
「何が欲しいか分かんない奴に、適当に誰か紹介する方がおかしいし」
「そうだな」
「ちゃんと説明してくれたし」
「うん」
「俺に価値がないって言ったわけでもない」
「言ってない」
「分かってるんですけどね」
エンは笑った。
その笑いは、
昨日までと少し違った。
「でも、選ばれなかったって感じるんですよ。」
シキは答えなかった。
何か言おうとした。
やめた。
「飯食う?」
エンが笑う。
「そういうとこですよ」
「何が」
「別に」
二人は飯を食いに行った。
それで、
その日は終わった。
SCENE 09/14 四日後
リツがミツノへ来た。
本当に来た。
昼過ぎ。
一台の乗合馬車から、
三十五歳の女が降りた。
サエは宿の前に立っていた。
十年ぶりだった。
二人とも、
すぐに分かった。
しばらく何も言わない。
先に口を開いたのはリツだった。
「老けたね」
サエが泣きそうな顔で笑った。
「そっちも」
「私は十年働いたから」
「私だって」
「ここで?」
「ここで」
沈黙。
サエが言う。
「ごめん」
リツの顔が変わる。
「最初にそれ?」
「だって」
「十年ぶりだよ」
「だから」
「だから何」
「謝りたかった」
「私は謝られるために来たんじゃない」
「じゃあ何で来たの」
「会いたいって言ったのそっちでしょ!」
「でも来たのはそっちじゃん!」
始まった。
シキは宿の中から見ていた。
「止めなくていいんですか」
エンが聞く。
「なんで」
「喧嘩してますよ」
「殴りそうになったら止める」
二人は殴らなかった。
一時間。
二時間。
途中でサエが泣いた。
リツも泣いた。
また怒った。
笑った。
また怒った。
夕方になっても話していた。
夜。
食堂の端で、
まだ話していた。
翌朝。
シキが起きて食堂へ行く。
二人は同じ卓で朝飯を食べていた。
会話はない。
サエが漬物をリツの方へ寄せる。
リツが取る。
それだけ。
シキは少し離れた席へ座った。
仲直りしたのか。
分からない。
また別れるのか。
分からない。
でも、
十年間止まっていた会話は、
動いていた。
シキは広場へ行く。
結世がいる。
「会えたよ」
「はい」
「知ってた?」
「再会したことは認識しています」
「どうなると思う?」
「分かりません」
「そこ分かんないんだ」
「未来は確定していません」
「じゃあ何で会わせた?」
「本人が望み、現在の情報から再会可能性を確認できたためです」
「うまくいかなくても?」
「その可能性は事前に伝えました」
「それでも本人が会いたいって言ったから?」
「はい」
シキは少し考える。
「……やっぱこっちの方がいいじゃん」
「何との比較ですか」
「何でもない」
SCENE 10/14 会わない方がよかった人
その日の夕方。
ハクが結世のところへ来た。
顔色は悪い。
酒は抜けていた。
ダンもいる。
二人の間には距離がある。
ハクが聞いた。
「あんたなら」
結世を見る。
「俺とこいつを会わせたか?」
結世は二人を見る。
現在の状態。
過去の関係。
ハクの断酒歴。
再飲酒。
ダンとの関係。
確認できる情報を整理する。
「現在の情報のみを基準とする場合」
ハクが待つ。
「優先的な交差としては提示しません。」
ハクが笑った。
「ほらな」
ダンは黙っている。
「会わない方がよかったんだよ」
ハクが言う。
「お前に会わなきゃ飲まなかった」
ダンが顔を上げる。
「分かってる」
「何が」
「それも謝りたかった」
「今の話じゃねえよ」
「昔の話だ」
ハクが止まる。
ダンは、
しばらく言えなかった。
やがて口を開く。
「お前が飲み始めた頃」
ハクの顔が変わる。
「最初に無茶させたの俺だろ」
「……」
「飲め飲めって」
「今さら何だよ」
「今さらだからだよ」
ダンは拳を握る。
「お前が壊れてくの見て、怖くなって逃げた」
「……」
「俺のせいだけじゃないって言われた」
「そうだよ」
「でも俺が何もしてないわけでもない」
ハクは黙る。
「六年ずっと」
ダンは言う。
「謝りたかった」
ハクの顔は変わらない。
ダンが頭を下げる。
「ごめん。」
長い沈黙。
ハクは言った。
「許さねえよ」
「うん」
「それで何か変わると思うな」
「思ってない」
「俺、また飲んだんだぞ」
「分かってる」
「お前に会ったから」
「分かってる」
ハクはダンを睨む。
そして、
何も言わずに歩いていった。
ダンは追わなかった。
シキは、
二人が別々の方向へ消えるまで見ていた。
結世に聞く。
「結局、会ってよかったの?」
「現在、双方に苦痛が生じています」
「じゃあ会わない方がよかった?」
「そう断定することもできません」
シキが眉を寄せる。
「なんで?」
結世は静かに答えた。
「結果が、まだ終わっていないからです。」
シキは黙った。
「未来は分かんない?」
「はい」
「それでも人を会わせる?」
「現在の情報と、本人の意思を基準にします」
「それで間違ったら?」
「その時点で、再び判断します」
シキは少しだけ、
結世を見直した。
というより、
最初から悪く思ってはいなかった。
むしろ、
かなり良い。
万来樹よりずっと。
人間より、
場合によってはずっと。
だからこそ、
何が引っかかっているのか、
自分でもまだ分からなかった。
SCENE 11/14 林檎
少女が林檎を落とした。
ころころと道を転がる。
老婆の足元で止まる。
老婆が拾う。
「落としたよ」
少女が駆け寄る。
「ありがとう」
「気をつけて」
「うん」
少女は走っていく。
老婆も歩いていく。
それだけだった。
翌日も、
何も起きなかった。
一週間後も。
一年後も。
二人が再会することはなかった。
少女が老婆から何かを学ぶこともない。
老婆の人生が少女によって変わることもない。
その出会いには、
後から語られるような意味は、
何も生まれなかった。
ただ、
林檎を落とした。
拾った。
礼を言った。
別れた。
六辻街道では、
そういう出会いも起きていた。
SCENE 12/14 意味
調査最終夜。
シキは結世と二人で街道を歩いていた。
正確には、
結世は歩いているように見えるだけで、
足が地面へ触れているのかよく分からなかった。
「聞いていい?」
「どうぞ」
「俺とエン」
「はい」
「お前なら会わせた?」
結世は少し間を置く。
「現在確認できる情報では、優先的な交差として提示する根拠はありません」
「じゃあ会わなくてもよかった?」
「その問いには回答できません」
「なんで」
「会った後の結果が確定していないためです」
「今んとこ飯食ったくらい」
「はい」
「意味なかった?」
結世がシキを見る。
「意味がなかったとは述べていません。」
「じゃあ?」
「まだ、意味を評価できません。」
風が吹く。
金の糸が揺れる。
シキは前を見る。
「ずっと意味なかったら?」
「その可能性もあります」
「いいの?」
「何がでしょう」
「意味ない出会い」
結世は少し沈黙した。
「私は、救済の根拠を持たない選択を、救済として与えません」
シキを見る。
「現在価値を確認できない交差を、意図的に優先する根拠はありません」
「うん」
「しかし」
結世は続ける。
「価値が確認できないことと、価値が存在しないことは同義ではありません」
シキは結世を見る。
「難しい」
「では」
結世は少し言葉を変えた。
「今、分からないものを、不要だと決めることもできません。」
「それなら分かる」
「あなたは」
結世が問う。
「価値の分からない交差を、残すべきだと考えますか。」
シキは答えようとした。
残した方がいい。
そう言えば簡単だった。
でも、
ハクを思い出した。
再び酒を飲んだ。
サエを思い出した。
十年ぶりにリツと会った。
ヒナ。
セン。
ガロ。
ネル。
エン。
林檎を拾った老婆。
知らない少女。
会うことで傷つくこともある。
会えないことで傷つくこともある。
会ったところで、
何も起きないこともある。
「……知らん」
シキは答えた。
結世は否定しなかった。
「はい」
「お前は?」
「私にも分かりません」
「神なのに?」
「神であることと、未来を知ることは同義ではありません」
「便利じゃないな」
「申し訳ありません」
「謝るんだ」
「必要であれば」
シキは笑った。
少し歩く。
「でもさ」
「はい」
「本人が会いたいなら、会うくらいいいんじゃない?」
「その交差によって、本人が苦しむ場合は?」
「……」
「離れたいと思った時、離れられない場合は?」
「……」
「交差が別の選択肢を失わせる場合は?」
シキは答えられない。
「お前、急に面倒なこと聞くな」
「あなたが質問したためです」
「そうだけど」
しばらく歩く。
結局、
答えは出なかった。
それで調査は終わった。
SCENE 13/14 特記事項なし
帰り道。
シキはまた迷った。
「もういいって」
地図を見る。
道を見る。
地図を見る。
「なんでだよ」
後ろから声。
「そっち違うよ」
振り向く。
十二歳くらいの少年がいた。
「どっち?」
「あっち」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんなの?」
「俺も迷ってるから」
「お前もかよ」
二人で歩いた。
少年は隣町へ帰る途中だった。
名前は聞かなかった。
少年もシキの名前を聞かなかった。
一刻。
二刻。
腹が減った。
シキは鞄からパンを出す。
半分に割る。
「食う?」
「いいの?」
「腹減った」
「俺も」
「じゃあ食え」
二人で食べる。
特に話すこともない。
天気。
道。
パンが硬い。
川が近い。
それくらい。
やがて、
道が二つに分かれた。
少年が右を指す。
「俺こっち」
シキは左。
「俺あっち」
「じゃあね」
「おう」
少年は行った。
シキも行く。
振り返らなかった。
その少年とは、
二度と会わなかった。
巡界衆本部。
トキが報告書を読む。
眉間に皺。
「長い」
「頑張った」
「長ければ良いわけではありません」
「短いと怒るじゃん」
「必要事項が抜けているからです」
「今回はある?」
「余計な事項もあります」
「じゃあ差し引きゼロ」
「なりません」
トキが紙を整理する。
最終記録。
《第二ノ御霊・万来樹》
《観測現象:既存する人・場所・経路間における交差変動》
《意図的対象選択:確認できず》
《発生条件:不明》
《目的:不明》
トキが指を止める。
「結世については別紙にします」
「うん」
「万来樹による交差と天律・結世による交差を同一現象として扱わない方がいいでしょう」
「全然違った」
「具体的には」
シキは考える。
「万来樹は何も選んでない」
「はい」
「結世は選ぶ」
「人を?」
「違う」
少し考え直す。
「会わせる組み合わせを。今の目的に合うかどうかで」
トキが書く。
「その方が正確ですね」
「あと万来樹、招いてないって」
「何を」
「人」
「伝承と矛盾します」
「本人が言ってた」
「本人申告?」
「俺もそう書いた」
トキが報告書を見る。
本当に書いてある。
少し嫌そうな顔をした。
「……残します」
「やった」
「喜ぶところではありません」
報告書を閉じようとする。
「他に接触は?」
シキが考える。
「帰りに子供一人」
「異常は?」
「ない」
「万来樹との関連は?」
「分からん。たぶんない」
「何か起きましたか」
「パン食った」
「不要です」
トキが紙を閉じる。
シキは少し考えた。
「……書いといて」
トキが顔を上げる。
「なぜですか」
「知らん」
「では不要です」
「でも書いといて」
「理由を」
「だから知らんって」
トキはしばらくシキを見る。
ため息。
紙を戻す。
最後に二行。
《帰路、街道上にて少年一名と接触。》
筆が止まる。
《特記事項なし。》
「これで?」
「うん」
「意味が分かりません」
「俺も」
「削除するかもしれません」
「好きにして」
シキは立ち上がる。
鞄を持つ。
中で、
何か硬いものが紙に当たった。
木彫りの魚だった。
まだ入っている。
シキはそのまま鞄を背負った。
SCENE 14/14 六辻街道
六辻街道では、
今日も人が歩いていた。
商人。
旅人。
子供。
老人。
仕事を探す者。
家へ帰る者。
誰かに会いに行く者。
誰にも会うつもりのない者。
道端で、
男が荷物を落とした。
小さな包みが転がる。
向こうから来た女が拾う。
「落としましたよ」
男が振り返る。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
女は包みを渡す。
男は受け取る。
それだけだった。
名前を聞かない。
どこから来たのかも。
どこへ行くのかも。
二人は反対方向へ歩いていく。
後から再会することもない。
恋人にもならない。
仕事にも繋がらない。
誰かを救うこともない。
誰かを傷つけることもない。
何も始まらなかった。
それでも、
二人は確かに会った。
森の奥。
万来樹が座っている。
片方の手を上げたまま。
人間には、
それが誰かを招いているように見える。
だから、
今日も誰かが祈る。
良い人に会えますように。
必要な人に会えますように。
もう一度、
あの人に会えますように。
万来樹は答えない。
招かない。
選ばない。
ただ、
そこにいる。
遠くで、
一本の道と、
別の一本の道が交わる。
その交差点を、
二人の知らない人間が、
何事もなくすれ違っていった。